無題
私の人生、私のためにある。
無題
私のやりたいことって結局誰かがもうやってることだし、今更私が始めても仕方がないしなあ。
とか思っていたんだけど、誰もやってないことをやりたいって、そもそもの私がやりたかったことを忘れちゃってるなあと苦笑。
他人に認めてもらうことが目標みたいになってしまってた、危ない。
私が今やりたいと思うことを、例えば誰かがやっているなら、それは同じ志をもっている人がいて嬉しいなでいいんだ。
無題
ていうか、私のやりたいこと、もう誰かがやってる。やり尽くされてる。
無題
私は心に問題を抱えたまま生きている。毎日毎日どうやって死ぬかだけ考えていたことも、実際に首を吊ろうとしたことも、包丁片手に泣き叫んだことも、家に警察を呼ばれたことも、きっと言葉で伝えたって分かってもらえるわけがない。
いつまでも引きずるなって話なのかもしれないけれど、あの苦しい気持ちもどうしようもない諦めも、私を取り巻く全てへの恐怖も、絶対に忘れられない。たとえどんなに遠い記憶になったって、薄い薄い痛みになったって、絶対になかったことにはならない。
こんな気持ちを抱いたことがない他人と、私は絶対にともに歩いていけない。絶対に。
だから私は一人でいたいと思うし、他人に分かって欲しいなんて期待はしない。
私のそばに居たいと思うなら、私とともに生きたいなんて言葉を口にするなら、私の痛みを分かるみたいなこと言わないで。
分からなくていいから、黙って近くにいてくれるだけでいいのになあ。南無。これは私の怒り。
無題
17歳から最近まで、人間的な活動(本を読む、音楽を聴く、映画を観る、とか)をほとんど出来ない時期がかなりあったこと、すごくコンプレックスに思う。一番多感な時期に瀕死だったこと、取り返しのつかないことだと思っている。追いつかねばと焦る。焦ってしまうと、せっかく手に取ったものも、なあなあになってしまって、理解したふり、取り込んだふりをしてしまう。急がなくてもいいから、もっと自分のものにできるくらい、大切にしなければ。
無題
自分のこと、他人のこと、もう少し無関心になりたい。
他人に無関心でいられる人、無条件に愛されたことのある人だと思う。
他人のことを一生懸命気にしなくても、期限を取らなくても、愛されることを知ってる。
だから無関心でいられるんだろうなあと思うのよ!