無題

いい車が買えるくらいのお金をトイレに流す食べ物につぎ込んで、このままだとそのうち家が買えるようになっちゃうよ〜

 

過食のために消費者金融でお金まで借りて、このまま生きていて、そういうしんどいことを上回るような嬉しいことに出会える気がしない

 

生きるのがすごく難しい、

何も考えたくないからとにかく食べてとにかく吐いて、そのまま眠って起きて食べてまた吐いて

 

いつまで経っても当事者のまま生きていくのかなあ

 

無題

私のやりたいことって結局誰かがもうやってることだし、今更私が始めても仕方がないしなあ。

とか思っていたんだけど、誰もやってないことをやりたいって、そもそもの私がやりたかったことを忘れちゃってるなあと苦笑。

他人に認めてもらうことが目標みたいになってしまってた、危ない。

私が今やりたいと思うことを、例えば誰かがやっているなら、それは同じ志をもっている人がいて嬉しいなでいいんだ。

無題

私は心に問題を抱えたまま生きている。毎日毎日どうやって死ぬかだけ考えていたことも、実際に首を吊ろうとしたことも、包丁片手に泣き叫んだことも、家に警察を呼ばれたことも、きっと言葉で伝えたって分かってもらえるわけがない。

いつまでも引きずるなって話なのかもしれないけれど、あの苦しい気持ちもどうしようもない諦めも、私を取り巻く全てへの恐怖も、絶対に忘れられない。たとえどんなに遠い記憶になったって、薄い薄い痛みになったって、絶対になかったことにはならない。

こんな気持ちを抱いたことがない他人と、私は絶対にともに歩いていけない。絶対に。

だから私は一人でいたいと思うし、他人に分かって欲しいなんて期待はしない。

私のそばに居たいと思うなら、私とともに生きたいなんて言葉を口にするなら、私の痛みを分かるみたいなこと言わないで。

分からなくていいから、黙って近くにいてくれるだけでいいのになあ。南無。これは私の怒り。

無題

17歳から最近まで、人間的な活動(本を読む、音楽を聴く、映画を観る、とか)をほとんど出来ない時期がかなりあったこと、すごくコンプレックスに思う。一番多感な時期に瀕死だったこと、取り返しのつかないことだと思っている。追いつかねばと焦る。焦ってしまうと、せっかく手に取ったものも、なあなあになってしまって、理解したふり、取り込んだふりをしてしまう。急がなくてもいいから、もっと自分のものにできるくらい、大切にしなければ。

無題

自分のこと、他人のこと、もう少し無関心になりたい。

 

他人に無関心でいられる人、無条件に愛されたことのある人だと思う。

 

他人のことを一生懸命気にしなくても、期限を取らなくても、愛されることを知ってる。

だから無関心でいられるんだろうなあと思うのよ!