無題
「弱虫は幸福さえおそれるものです」
私の好きな作家がそう言った。
私のことだ〜〜!
こんなにもだめだめな私が、幸せになっていいはずがない。幸せを望むなんて、恥ずかしい。手に入ってしまった幸せが、なくなってしまうことが怖い。
私は、幸せが怖い。
そもそも、幸せってなんだろう。
人の数だけ、幸せのかたちがあるはず。
私はずっと、自分の機嫌を取ることが下手だったなあと思う。
21年間生きてきて、やっと、少しづつ、少しづつ、自分にとって心地がいいこと、苦しいことの境目が見えるようになってきたように思う。
心を壊しながら、21年もかけて見つけた、私にとっての心地よさ。
心が震えるような嬉しいことだとか、楽しい瞬間だとか、そういう大きな大きな心の動きって、本当に尊いものだと思う。
私はずっと、幸せってそういうものだと思ってた。
だけど、もしかしたら、今の私にとっての幸せは、心地がいいってことなんじゃないかなあ。
ゆっくり、静かで、
大きくなくたっていいから、伸びやかなもの。
波の立たない、風通しの良い、穏やかなもの。
そういうもの。
私にとっての幸せが、どうやら心地いいと同義なんじゃないかと思えるようになってから、少しだけ、幸せが怖いものじゃなくなった気がする。少しだけ近くなった気がする。
心地よく暮らしたい、生きてゆきたい。
そう思うことくらい、願うことくらい、
だめだめな私でもいいんじゃないかなあ。
心地よく暮らすこと。
心地よく生きること。
幸せになることは、怖いことじゃない。
幸せになりたいと願うことは、恥ずかしいことじゃない。
それでも、幸せが逃げていってしまうことは、やっぱり怖い。
だけど、心地のいい暮らし、心地のいい生き方、そんなふうに幸せのかたちの指針があれば、いつだって取り戻せる。(よね?)
私は苦しい時間をやり過ごすことは得意だから。
人よりも時間がかかってしまうことは、慣れっこだから。
もしも幸せが逃げていっても、また、ゆっくりゆっくり取り戻せるはず。(だよね??)
私は時間をかけて、私自身を大切に出来るようになってきた。
幸せのかたちは、時の流れと一緒に変わってゆくかもしれないけれど。
21歳の今の私が一生懸命考えたこの幸せを、いつまでも忘れずにいたい。